私の人生は、紆余曲折だ。
普通に大学に行って、公務員になったら、
そのまま続けていく人が多いのだろうけど、
私の転機は、結婚後の27歳の時に起こった。
ずっとうっすら気づいていたけど・・・
どうしても、仕事に馴染めない。
当時、転勤先が茨城県、佐賀県と続き、
「あれー、焼き物の産地じゃん。」と上司に言われた。
ですね~と何気なく返事したけど、
職場のレクで笠間の陶芸体験に行ってから、
思ったものがかたちになるのが面白くて、
仕事帰りにはカルチャーセンターの陶芸教室に通うようになった。
いよいよ仕事がもう限界、という時、
夫が、新聞に掲載されていた
有田窯業大学校の入学案内の記事を見せてくれて、
それがものづくりへの道の始まりとなった。
有田の窯業大学校に通っていた2年間は、
出会う人、もの、全てが輝いてみえた。
焼き物の基礎の話や土作り、
釉薬、絵の具作り、絵付け、ろくろ、
石膏型での制作、etc…
やきものをやるための一通りのことを教えてもらった。
時間があれば、先生たちや有田、唐津の陶芸家の方たちの工房を訪れ、
肌で雰囲気を感じ取り、刺激をもらった。
今まで、大波に飲まれて溺れていた自分が、
『ようやく息ができた』、そんな感じだった。
しかし、卒業後に待ち受けていたのは、転勤族を続けながらの作陶生活。
新しい土地で慣れた頃に、貸し窯を探し出し、
家と窯を何度も往復しながら作業した。
12年にもなる。
我ながらよくやったもんだと思っていたが・・・
こうして振り返ると、夫や子供の支えがあってこそだと、よく分かる。
その間に、息子が生まれ、
入園前までの3年間を北海道で過ごした。
今でも目をつむると、
大地に広がる、偉大で深遠な森や、
森に囲まれ静まり返った、アイヌ語の名のついた神秘的な湖に、
自分が立っているかのように感じられる。
母親としてどう子育てをしていくのか、全くわからなかった私に、
北海道で出会った、おおらかで芯の通った、可愛い母たちは、
言葉にならないほどたくさんのことを教えてくれた。
今の私は、
周りにどう見られるかとか、「正解」は何か、とか、
そんなことより、
心が喜ぶこと、体が喜ぶことが大事。
ほとんど頭が使えなくて、直感で生きている。
人はみんな、ありのままでいい。
大人も、こどもも。
その多様性こそが、複雑で美しいタペストリーを作るように、
魅力的で、面白くて、素晴らしい。
あれこれ悩むより、
今、できることを、行動にうつす、
ただただシンプルな毎日。
そんな私から生まれる器を通して、
誰かに喜んでもらえたら、
ほっとしてもらえたら、
こんな幸せないな~と思っています。
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